今回は何やら深刻なタイトルからはじまり、驚かれている方もいらっしゃるかもしれません。
これからは本当にやりたいことだけをやろう。
実は先日、私自身が晴天の霹靂ともいえる、こんな出来事に遭遇したのです。8月の夏休みのでした。久しぶりの休みだったので家でくつろいでいたところ、娘が私の足の裏をまじまじと見つめ、「パパ、大きくて黒い黒子ようなものがあるよ。どうしたの?」と心配そうに言うのです。いわゆる老化現象のひとつだろうと、高を括っていた私に妻も「もしものことがあったら困るから、医者にいったほうがいい」と強く念を押してきます。
日頃の不養生も負い目だったので嫌々ながら病院に行きました。いつもは気さくな先生が足裏の斑点をみるなり、目を曇らせ、何度も何度も見返しては問診を続けます。一通り検査が終わると、言いにくそうにこう切り出しました。「これは嫌な感じがします。がんセンターに紹介状を書くのでそちらで検査してもらってください」。驚いて「そんなに悪い物なんですか」と問いただすと「悪性腫瘍の場合、ステージ1なら切除できますが、進行によっては命に係わる場合もあります。リンパなどに転移が認められれば余命半年というケースも……・」。
耳を疑いました。というよりも金づちで頭を殴られたような衝撃があり、どんな言葉を返して病院を出たか憶えていません。ひとまず、車の中で深呼吸をした後、妻に電話をしました。子どもには聞かせたくないと思って妻の携帯に電話をし、一通り状況説明をしました。ところが娘もよほど心配していたらしく、スピーカーで聞いていたのです。
深刻な事態に家族中打ちのめされました。誰もがいつかは死ぬ、と漠然と思っていてもここまで「死」が身近に迫ってきたことははじめてでした。
翌朝に病院へいくまでの一晩はさまざまな思いが去来しました。
なによりも先に脳裏をよぎったのは子供のこと、家族のこと。そして会社です。私がいなくなったら、どうなるんだろうと。子供の成長を見れないのは心残りだなあ。妻と子供はどうしていくのかな。会社もこれからという時期なのになあ、などと漠然と心配だけがうごめいていきました。人生にまさかの坂があると聞いていたけど、正にこれが「まさか」だと。
覚悟を決め、腹をくくって翌朝、一番でがんセンターへ行きました。なんと、お医者さんが斑点をみて、検査した瞬間に「血豆です。」と。思わず、「本当ですか?」と聞き返していましました。ああ、よかった。と心の底から思いました。生きていることはそれだけで運がいいんだと心の底から湧き上がってきたのです。そして、これからは本当にやりたいことだけをやろう。
本心は望まないのに、損得を優先してやりたくないことも我慢してやってきたけれど、もうよそう。そんな思いがふつふつと湧いてきました。ここまでもったいぶった思わせぶりな書き方をしてしまいましたが、お許しください。この経験を通じてぜひともお伝えしたいと思ったことがあり、このブログを書いています。
発想の転換をして、人生の優先順位を変えるだけで見えてくる世界は変わります。
今回の件でふと思い至ったことがあります。これまでUIターン転職を考える方の相談にのってきましたが、「地元に帰りたい」という漠然とした希望を「正当な転職理由にならない」と封じ込めている方が少なくなかったことを思い出したのです。家族の手前、漠然とした希望は説得材料にならないからというのが本音のようです。そう聞かされても、これまでは無理強いをするようなことはなく「そうかもしれませんね」と聞き過ごしてきましたが、いまは違います。理由がなくとも「帰りたいなあ」と湧き上がる気持ちがあるなら、それは「充分な転職理由です」と言いたいのです。
年収が下がるかもしれない、地方転勤に家族が反対するかもしれない……。あれこれ頭で理由をつけては封じ込めてしまいがちですが、人生はあなたが考えるよりも短い。発想の転換をして、人生の優先順位を変えるだけで見えてくる世界は変わります。
ご自身の心の声に耳を傾けること、これにまさる選択はありません。
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
(もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?)
これはスティーブ・ジョブズの名言ですが、私は足裏にできた血豆のおかげでこの言葉を身に沁みて実感しました。やりたいことがあるなら、先延ばしにするのはもったいない。
「余命半年」という言葉の重さ。結果それはまったく事実ではありませんでしたが、この機会を得て私は別の意味で延命したと感じています。
会社のステイタスを天秤にかけて自尊心が満たされるかどうかよりも、親や嫁が反対するから、説得に時間がかかるから、などという先延ばしの理由を唱えるよりも大切なことがある。今回の出来事を通じて私は確信しました。それはご自身の心の声に耳を傾けることです。これにまさる選択はありません。
コメント